000228:転職したわけ

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これ、知りたい人、多いんじゃないかな?(笑)

前の職業は、システムエンジニアでした。それも一流(だと思う)企業の子会社なので、給料も良かった。それを捨ててタクシー乗務員になるなんて、普通では考えられないことだと思います。
理由はもちろんあるし、単純でもないし、ひとつでもないのですが、あんまりいろんな人に聞かれるので(もちろんお客さんにも聞かれます)、ここで書くことで、自分でも整理してみようという試みです。

もともとコンピューターが好きで(今も好きですが)、なんとなくシステムエンジニアになった私でした。就職先を決めるにあたっては、自宅から通えて転勤のない会社を中心に選びました。すでに彼女(当時。今は嫁さん)と将来について考えていたし、彼女自身が地方公務員であったし、とにかく転勤は一番だめだった。そんな不純な(当人にとってはいたってまじめな)理由から就職先を決めたわけです。

就職後、色々な仕事をしましたが、そのうち人事給与システムの保守を担当するようになります。最初は1つのお客様を複数の担当者で担当する状態からスタートしました。あの頃は、男女雇用機会均等法の関係などで、コース別人事制度を導入するのが流行で、それにあわせて人事給与制度を見直し、システムにも変更を加えるという作業が主でした。なので、お客様の予算もそれなりに確保してもらうし、担当者もそれで飯が食えたわけです。
そのうち、制度改定も一段落すると、だんだんシステムにお金をかけて変更するような事象が減ってきます。お金が減ってくると、担当者は自分の給与の源(みなもと)を確保するために、複数のお客様の保守を担当するようになってきます。すると、すみずみまできちんと保守することができなくなってきます。しかもトラブルに関してはお客様に非はない(こともないものもあるけど)ので、当然追加で費用をいただけないケースも出てきます。仕事はあるのにお金がない状態に陥るわけです。お金を確保すると、仕事の量が増えます。仕事の量が増えても1日の時間が増えなければ、当然仕事の内容が薄くなります。ひとつのお客様を担当していたときは、それは隅から隅まで分かっていた(つもりな)のですが、お客様が増えるにしたがって、だんだんその状態が維持できなくなってきました。これは、技術者として、非常につらい状態です。

あと、保守という作業は、マイナスからスタートする面があります。まず動いているものが動かなくなる事象(トラブル)が発生して、それを調査して対応するわけです。何とかゼロに戻すわけですが、なかなかプラスに持っていくことはできません。それに、開発の作業と違って、終わり(完了)という気持ちが薄いのも事実です。1件1件のトラブルに対応したからといって、お疲れさん会や打ち上げもしませんし(笑)。このあたりが、だんだん気持ちの上での問題として蓄積してきます。

それと、性格的な問題ですが、私は人を使うのが苦手です。人に指示する側に立つためには、その人よりも完璧に近くなくてはならないと考えるので、逆に完璧だと思えないと、つい指示が出せないわけです。なので、楽をしようとして、自分でやろうとしてしまう。これはいずれ破綻するわけです。ちょっとしたエクセルの表を作ってみるのとは訳が違います。600もの機能があるシステムをメンテナンスしていくわけですから(しかも複数のお客様分)、一人では無理ですよね。

それでも何とかこなしていたわけですが、共働きで分担するはずの家の用事なんかも、お客様のトラブルを放って帰れるわけもなく、嫁さんや実家に負担がかかるようになってきて、そんなことを色々考えているときに、ちょっとした人間関係のトラブルなんかもあって、精神的に耐えられなくなってしまったわけです。

ま、以上がやめるにいたった経緯な訳ですが、それなら別にタクシーの乗務員でなくてもよいのでは?と思う人も多いと思います。
では、なぜタクシーの乗務員なのか・・・

私の父が個人タクシーの乗務員をしているのが、影響としては一番大きかったと思います。決して裕福ではなかったけれど、お金に困るようなこともなかった(と思っています)し。
(これは、景気が良かったことに多いに影響してます。今は厳しい業界です)
男の子には憧れの「運転手さん」という職業であることも、大きいです。
でも、何より、お客様を乗せて、目的地まで行って降りていただくという1つ1つの達成感。お客様と直接対面しているので、お客様の満足度が見て取れる。基本的に一人で考えて行動して行う仕事であるということ、などなど。転職の原因のほとんどが解消されるのです。
で、個人タクシーを開業しようと思うと、会社タクシーなどで旅客運送事業に従事する必要がある(10年間の経験が必要です。)ので、会社タクシーの乗務員になったわけです。

今の会社は、2日勤務して1日休むというパターンを延々繰り返す勤務形態なので、休みの日は10年後まででも決まっています。嫁さんはもともと1ヶ月の勤務シフトをあらかじめ決めて働く形態なので、私の休みに合わせてシフトを組めば、家の用事(主に子守り)に支障が出ることはないわけです。平日でしかできないような銀行や役所関係の用事も、問題ありません。

10年経てば、娘は高校3年生です。それまでに、当然一人で留守番できるようになってくれるでしょうから、そうなれば働き方も変わってくるでしょうが、今のところは「売上よりも家族優先(でもくびにならない程度には稼ごう)」というスタンスでやっています。
個人タクシーを開業する頃には娘は大学生(または短大生、あるいは社会人?)ですから、夫婦の時間を大切にしつつ働こうと思います。それこそ、嫁さんが夜勤なら、私も夜勤すれば良いし、休みなら休む。そうすれば、お互いの仕事はきっちりしつつ、プライベートも充実させることができるのではないかと思います。

これが、仕事のきつい割には収入が少ないタクシー乗務員になった経緯です。
ご理解いただけたでしょうか?(笑)

実際に、お客様に乗っていただき、色々な話をし(しないケースもある。場合によります)、降りるときに、「ありがとう」とか「がんばってね」とか言ってもらえると、疲れも吹っ飛ぶってものです。640円のところ、わざわざ800円くれたお客様も。
あとは、早くお客様のいる場所を覚えて、効率よく稼げるようになりたいものです。