000768:005:「良い子」のなれの果て

  うちには5歳になる娘がいる。来年小学校に入学する(らしい(笑))。私の教育モットーは、「過度な期待はしない」「なるようになる」。この(自分でも)いい加減と思えるような教育モットーに行き着いたのは、自分の幼少の頃を思い出したからだ(トラウマの多い人生だなぁ)。
  高度経済成長の頃に生まれた私は、両親共働きで、経済的に割と恵まれた家庭に育った。妹との年齢差6歳、つまり6歳まで一人っ子として蝶よ花よと育てられた。当然両親の期待は大きく、3歳で文字を叩き込まれ、幼稚園の頃には足し算引き算といくらかの漢字も読み書きができた。物心つくころには、もう「よくできる賢い子(イコール良い子)」の素地が出来上がってしまっていたのだ。そしてその頃には自分で両親の期待を感じていたのだろうと思う。小学校にあがると成績は常にトップクラスで、学級委員長を歴任。何かが私を追い込んでいた。そうしていなければいけないような無言のプレッシャーが常にあった。そして当然のように中学受験。そりゃ通るよ、あの成績だもの。
  中学に入って私はいきなりカベにぶちあたった。自分だけが特別よくできる子(イコール良い子)じゃないってことを思い知らされたのだ。私は混乱した。そして反抗期。反抗期が過ぎる頃には私は「良い子」ではなくなっていた(笑)。中学、高校と下の中位の成績で(オイオイ・・・)卒業し、看護学校に入るのに1年浪人し今に至る(かろうじて国家試験は奇跡的にいい成績で通った(笑))。
  思うに私は中学で両親の期待にバーンアウトしたんだろう。自分で挫折したとは感じていないので、特に両親に対して恨みがあるわけじゃない。自分の子供に対する期待は持って当然だし・・・。ただ、バーンアウトするまでに私が注いだエネルギーは少し無駄だったような気はしている。「お勉強」の為にやりたかったことを涙ながらに諦めた事も1つや2つではなかった。今思えば、諦めなくても良かった事だったような気がする。 と、いうわけで今の私は「良い子」のなれの果てである。でも全然問題ない。「なるようになる」のだ。私が身を持って実証する(笑)。
  娘に対して、型に嵌めるような、プレッシャーをかけるような過度の期待は持たずにいようと思う。彼女の人生だ、好きなように生きればいい。「良い子」のなれの果ての先輩として、大きな目で見ていこうと思っている。2003-04-15